オヤジ45才、再出発のブログ。

45才のポンコツ映像ディレクターがこれまでのダメダメ人生をさらけ出して、再出発を目指すブログ

45オヤジ、8年の仕事を辞める。

皆がどのように仕事をしているかはよく分からないが、一本の映像を作る毎に、ギャランティを貰う、というのが私の仕事だ。だから稼げる月もあれば稼げない月もあり、バラついている事が多い。
そんな中で定期的に受けられる仕事として、テレビ番組を自ら志願して請け負ったものがあった。
それは最近まで続き、8年も続けてきた。番組が肌に合っていたようで、とても気に入った事もあり、これからも長く続けて行きたいと思っていた。が、、、

私はその仕事を辞めた。

それはかなり労力のいる事だった。しかし、将来をきちんと見つめてどうにかしていかねばと思っていた時期だったので、そうせねばならない事だったのだと今は思える。


この番組を始めた頃、番組制作はとても楽しく、全てが面白かった。日本全国だけでなく、海外にまで行かせて貰い、様々な場所を訪ねる事ができた。それが2年程前から、趣味嗜好が全く合わない局のプロデューサーが番組の頂点となり、状況は一変した。

このプロデューサー(以下P)に無理難題を言われ、常に文句をつけられ、考えを押し付けられるようになったのだ。

テレビ番組作りは基本、クライアント→局→制作会社→私のようなディレクター(会社員の人もいるが)への発注となる。あまり揉め事を好まない私は、このPの意見に反対意見を述べること無く、はいはいと注文を聞き続けた。
これは、そのPが数年前にも同番組に着任しており、物凄くやり合った経験があり、それでもこちらの考えを1ミリさえも譲歩してくれなかった事に由来する。(そのPはその後、一度番組から去った)

当時、映画作りから働き始めた私は、監督の考え、演出法は基本的に柱となり、それに従って皆が進めていくべきだと思っていた節があり、その事によって揉めてしまった。ただ揉めて以来、これはテレビだと考えを変え、面倒くさいので、そうですね、と従っていた。。。
(実は、テレビ業界はディレクターと言い、映画業界は監督というのは、この部分の意味が大きい、その話はいつか)

これがその後、自分の心を蝕む結果になるとは全く思っていなかった。

徐々に意見する間口が狭まっていき、どんどん自分の意見を言えなくなり、やがて言われたまま、全てをこなすようになっていた。

多分、そういう人、多いんじゃないかな。ここはいいや妥協しとこう、って思い、やがて自分の世界をせばめていく感じの人。。。(と思っているのがダメなディレクターの一端かも)

この事が歪んでいく原因となる。
最近、話題になっている元官僚の古賀氏もこの事を声を大にして言っている。発言をやめれば、社会によって自分が変えられてしまうぞ!って。

養老氏の「バカの壁」にもあったが、自分なんて元からあるのだ、完全にイエスマンになんてなれる訳がなかった。何かが違うなと思う違和感が、日に日に大きくなっていった。

そんな仕事をもう辞めてもいいのではないか、と思ったのは、今でも蘇るPの言葉である。

「俺の30年をバカにするのか?」

心にできているストレスをなんとか無くそうと、自分の思う事を言おうと決心で臨んだ会議。私が「そうは思わない」と言った事で、Pが激昂する。それは心から出てきたPの言葉だと思う。
「俺の30年をバカにするのか?」
あまりの唐突な物言いに私は戸惑い、
そして、このPは周りに認められてないのかもしれない、このPと一緒にやっていても視る人達が楽しめるものなど作れる訳がない、と思うようになってしまった。
(要は自分の意見が正しいとだけ思っているPの判断で作られている放送が、そこら中にあるという事を理解して欲しい。民放は文句をつけても変わらない。そんな人達の耳に声が届くとは到底思えない)

そんな頃に以前同番組を一緒にやっていた女性プロデューサーに運良く、そして偶然に私は出会った。この人は自身のポジションをしっかりと考え、大きく仕事の流れを見る人だった。思わず私はその人にすがりついた、
「あのPが昔よりも凄いことになっています。もうイジメですよ、イジメ」
すると、その人は膿で溜まりに溜まった私の心を開いてくれた。

「もう辞めなさい。あの年齢で何を言っても変わらないわよ」

涙が出そうになった。
神かと思った。
有り難かった。
私の考えがおかしくないと認めてくれる人もいたのだ。。
男性社会にいると、こんな意見多分聞けないだろうと思う。叩き上げが全てと思っているド阿呆な男どもには無い発想だと私は思う。「それぐらい普通だろ」「俺なんか昔は…」「若いなー」こんな事、後輩に言う輩からは絶対に転換の発想は生まれない。

そうだあのPに何を言っても何も期待できない、変わるからには私が変わらねばならない。変わる為に何かを捨てねば!それで私も変われるんだ!

そして、、
辿り着いた答えが8年続けた番組を辞める事だった。
断捨離、そして
新たな道を進むためのステップ。

スタッフから、辞めないで、なんとかならないですか?なんて言葉も頂いた。
でも辞めなければ何ともならないと思った。
だって、自分の考えを解放することの出来ない仕事なんて、これっぽっちも楽しくないんだもの。。。

捨てたおかげで、心がリフレッシュし、体が軽やかになった。大会社にすがりついていた自分が馬鹿馬鹿しくおもえた。

そしてその事から、自分は変わる人間に一歩近づいた、やれる人間なんだと力も少しずつだが湧いて来た。


柔軟さが無くなったら人はアウトだ。自分の嗜好を後進に押し付けるのもアウトだ。そして、しがみつき続けるのはもっとアウトだ。

もともと、この番組を続けていく事が、自身のスキルや将来に繋がっていくのか?と常に不安要素としてあった事も、辞めた事でもちろん解消した。

この8年は楽しくもあったが、辛い数年でもあった。残されたのは、相当自信を失い、最早ポンコツとしか思えない自分でもあったから。。


さて。
私は大好きな仕事を辞めました。
だって仕事って人との繋がりだから。
人あっての仕事だから、人間として尊敬できない人と仕事してても、何も発展しないですよね。
どう思います?
それでも仕事はそういうものだろ、そういう方もいるんだろうなー。
でも、本当にそうですか??


そこに居続ける事に、力を注ぎ続ける人がいます。でもポンコツディレクターはそこから離れようと考えました。ポンコツなので、しがみつき、傷つき、使い物にならなくなってもしがみついて、ようやく何年もかかって明日も見えないにも関わらず切り捨てる事ができました。。。
ごめんよー、妻、子ども!

ま、それでも、やめちゃったんだから、上を向いて笑うしかないですわね。