オヤジ45才、再出発のブログ。

45才のポンコツ映像ディレクターがこれまでのダメダメ人生をさらけ出して、再出発を目指すブログ

オヤジ、タバコを想う。

私はタバコをやめられない。
吸い始めて、もう20年以上になってしまった。
酸素を引いて歩いている人を見ても、タバコが原因で肺機能の閉塞症になったという人の話を聞いてもだ。。情けない。想像力が足りないのか。知り合いの医者にタバコは百害あって一利も無しですよ、と言われたのにも関わらずだ。

私は今までに2度、禁煙した経験がある。それは1年とか、1年半ぐらいだ。つまらない事でまた吸い始めてしまった。たまに2,3日やめてもまた吸ってしまう。意思の弱い事、弱い事。。なのでランニングをしたにも関わらず、ベランダでスパーッと吸う、コーヒーを飲んでスパーッと吸う、というのを繰り返してる。ランニングをしているなんて、実は威張れたもんじゃないのだ。。まだ若い、止めても大丈夫。そんな思いが深層心理にあるのか?いや、、、ある。確実にある。

若い後輩たちが気持ち良さげに吸っているのを見て、俺も一服、と思ってしまう。

正直に言う。どうやって止めたらいいですか?あんなものにすがりついている根性では、人間を変えるなんて無理ですかね?

タバコをどこかで信用してる俺って、人生を変えるなんて無理なのでしょうか?

吸ってた皆さんはどうやってやめたのですか?
教えて下さ〜い。



45オヤジ、京都を想う。

暑い。。。数歩歩くだけで汗が滲み出る。

この時期になると、いつも5,6年前の京都での事を思い出す。
 
当時調子に乗っていた私に翳りが見え始めていた頃、それでもその先があるはずと、東京を離れ、太陽の照りつける蒸し暑い京都まで行き、カメラを片手に撮影現場を駆け回っていた。質のいいドキュメンタリーを撮りたい、そう心に誓って。
しかし、、、つまらない事件が起こる。某役者の撮ってはならないシーンというのを撮ったと、あるプロデューサーに因縁をつけられ、現場で全てのスタッフの前で意味不明に怒鳴られたのだ。あの時の事はずっと忘れない。。。忘れたくても忘れられないのだ。。。自身の芯が弱い証拠なのかもしれない。。
 
こちらの言い分も聞かず、闇雲にキ◯ガイのように怒るプロデューサーに目の前が真っ暗になった。本当に真っ暗になるというのを体現した感じだった。目眩を感じ、脚の力が抜け、心臓は高鳴り、嘔吐を催し、ああ、全てが終わったという感じさえあった。あたりには騒めく蝉の声だけがやけに大きく聞こえた、一緒に行ってもらっていた後輩の前で惨めに呆然と立ち尽くす私がいた。。。
 
その現場は始めの打ち合わせから上手く回っておらず、私自身が現場にとって厄介な存在となっていた。本当は私のポジションを使いやすい人間に変えたいと思っていた現場の製作陣は、クライアントから直で仕事を降ろして貰っている私が気に入らなかったのだ。ずっと貯めていた怒りを噴き出した感じだった。
 
今、これを書きながらも当時の事を思うと腹が立ち、苛立ち、そして、、情けなくなる。
 
怒鳴られた時、私に仕事をくれたクライアントもおらず、私をフォローする人間は一人もいなかった。現場が終わり、夜もスタッフルームに呼ばれ、どうなってるの?といつまでもしつこく怒られ続けた。クライアントが撮って欲しいと言った仕事にも関わらず、だ。「撮っただけで公表しなきゃいいじゃない。どうせチェック受けるんだし」そんな風に大きく構えてくれる人間はその場には誰一人いなかった。ひたすら体を小さくして、すみませんでした悪いのは私です、と言い続けた。現場の雰囲気を悪くするものは、虫の一匹でも許さん、そんな感じだった。その夜、一旦東京まで戻らねばならなかった私は京都駅まで重い足を引きずり、最終の新幹線で暗闇の街をぼーっと眺めながら東京へ向かった事を忘れない。
 
 
しかし、私はずっと納得がいっていなかった。なぜあれほど怒られねばならなかったのか?私がカメラを構えるのは、仕事だ。構えていれば、あらぬものを撮ってしまうのも、当たり前だ。そういう状況にルールもなく私が回すカメラを入れているのは製作陣だ。そして、そんな私に現場に入ってと言ったのはクライアントだ。事が起きた時、そのクライアントに電話をしてその事件について掛け合って欲しい、と一日中電話をしたが、電話にすら出ようとしなかった。
「やられた、俺一人に全部背負わそうとしている。。」そんな風な考えが頭から離れなかった。考えに考え私が出した回答は、その仕事は私という存在がいてもなくてもいい仕事、良いものだったら上手く利用しよう、そんな仕事だったのだ。
 
 
今思えば、これは私の仕事のやり方に問題があったようにも思える。私はいつからか、仕事に保険をかけるようになっていた。あの上司がOKと言ったからOKなんですよね、プロデューサーがOKと言ったからOKなんです。そんな風に上にお伺いを立て、だから大丈夫、保険をかけたから大丈夫。そんな仕事をしていた。
 
こういう仕事の方法、普通は当たり前なのかもしれない。
でも、そうか?本当にそうなのか?
 
決定権が無い。それは責任が無い事という事。常にお伺いを立てねばならない責任のない仕事。
本当に仕事ってそんなものなのか??
 
そして、OKと言ったからいいはず、という甘えもそこにはあった。仕事は日々変わり、会う人間も日々変わっていくという中で、前の仕事が上手く行ったからと、同じようにできるはずだと考えてしまった向上心の無さ。
 
クライアントが口ばかりの人間だった事をまったく知らずに仕事を始めてしまった凡ミス。人を見る目の無さはその後しっぺ返しとなり、切なさ、哀しみを容赦なく叩きつける。
 
そこから、半年、私は奈落の底に落ちたような日々が続いた。後で妻があの時はよくウツにならなかったね、といったぐらいボロボロだった。いや、多分軽い鬱だった。その後、だんだん全てが嫌になって、死、というものを意識したくらいだから。。
 
 
でもね。
 
私は今、こうして頑張れてる。新しい世界に行こうと。
かわいい娘と愛する妻を必ず幸せにするのだと、頑張れてる。
それもあのロクでもない製作陣のおかげだ。
 
人生は山あり谷あり。
調子のいい事は続かない。そのかわり、悪い事だって続かない。
必ず道は開ける。
 
私がここ数年で学んだ一番大切な事だ。
 
 

45オヤジ、友を語る。

昔からの友人と会う機会が、ここ数ヶ月続いた。
もう45より上の仲間たち。浪人組もいるので、ほぼ50のおっさん達だ。
一人は激太りの話、一人は窓際の話、一人は離婚の話、一人はもう生きてる意味もないしなー、と呟いていた。なんだこりゃ。。。リアル「北の国から」??今なら泣ける脚本を書けそうな気がする!でも、楽しい話少しくらいないのかよ。。
輝かしい人生に見えていた仲間達の裏側を垣間見て、複雑な心境になった。


AはSNSで流れてくる写真をみていて、ずっと家族と幸せな生活を送っていると思っていた。様々なデザインの仕事をし、日本中を飛び回り、そのデザインがまたカッコ良く、大学時代から未だトップをひた走っていると思っていた。その姿のウラで6年もの間、嫁と別れる事を考え続けていたという。Aの離婚の告白に一緒にいた仲間達が言葉をつまらす。「妻に萎縮して何も言えなくなってた。。」まさか!Aが妻に萎縮??嘘だろ。。おいおい。。カッコイイAがしゃくって涙をこぼすなんて考えもしなかった。学生時代のNo. 1が?自分の目を疑った。。

また大学時代ずっと一緒に遊んでいたBは、私の勝手もあって、長く会っていなかった。考えれば四半世紀近く。年賀状で昔見た記憶から、当時から知っていた彼女と結婚し仲良くやっていると思っていた。だが。。。
子供が一人いたけれど離婚。数十年ぶりに会って出て来た言葉が「子供が20歳になったら、もういいかなと思ってんだ」と命に関わる弱気な言葉。数年前、鬱を発症していたらしく、まだ回復していない様子。しかも最近は働いていた会社が潰れ、とりあえず「食ってく仕事、見つけないとな」と力なく語った。どこかのステレオタイプのドラマを見てるのか?嘘だろ!嘘って言ってくれー!おい、曲がった事が大嫌いって感じのお前はどうしたんだよ!B!そんな事言わないでよー、と涙が出てきた。

また、これも大学時代の友人で、輝きまくっており某大手会社に入ったC、「今日は俺のグチを聞いて貰おうと思ってさ」とふざけて言っていると思ったら、半分本気。いや、10割本気。窓際を匂わせる言葉がCから出て、えええ!あの華々しいお前が???と思う始末。昔、相当売れているチームに属していたCが今や使えないオッサンに成り下がっているという。ハイボールを片手にもう今の仕事は飽きたとこぼす。それでもCは若い頃のトンガっている頃を彷彿させて「何にもしねえで、年収1600万だよ!へへへ」と自慢。すげー1600万、スゲーじゃん!ふざけんなよ!お前そんな貰ってんのか!ここの代金払え!と一緒にいた友人に叩かれると、「うまく逃げ切る方法ねーかなー」だって。。ウラでは子供がいるから、今の仕事辞められない呪縛にかかっちゃってる人生らしい。子供がいなきゃ別れてるよ、だって。。
1600万、私の今の4倍だ。くやし〜と思いつつも、金の自由の代償がこの感じかよー、もっとお前とは違うんだってところ見せてくれよー。C、今何が生き甲斐?そんな言葉が頭に浮かんでは消えた。


みんな重い話ばかり。これが現実の45才だ。
重過ぎるっつーの。。
明るい45才前後の話題は前に紹介した珈琲屋を作った友人くらいか。。

人生、金も必要だけど、のめり込める何かが必要みたい。激太り(多分大学時代の2倍にはなってた)しながらも、それでも仕事を楽しんでいるらしいDがせめてもの救いだった。激太りでいつ倒れるかわからんけど。。。

彼らと会って、考えたこと。
「俺って幸せ者…なんじゃないだろうか」
金はない、しかし家族の愛はある。…と思えてる。一応好きと思っている仕事を続けてこれた。(最近じゃ飽きてきたし、張り合いもない。この業界、辞めてやる!って常に思ってるけど)
そして見つけた新たな出発も妻は応援はしてくれている。
日常でそれなりに笑ってる。
親子の仲も良い。。。


結論。人生は長い。想像しないくらい色んな事がある。
例え今周りに鼻が高くなって折ってやろうにも、折れない仲間がいても、そいつの三日後の幸せなんて誰も保証できない。

楽しみの中に、今を生きている奴が一番幸せなのだと思った。

「カーペディエム。(今を生きろ、今を楽しめというラテン語)」
大好きだった名優ロビン・ウィリアムズの映画「いまを生きる」中の言葉。
この名優も昨年自殺で亡くなるという信じられないニュースを聞いたけど。。

いまを生きる、最近これくらい染みる言葉はないかも。


If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
もし今日が人生最後の日だったら、
今やろうとしている事は 本当にオレがやりたいことか?

よく知られてる言葉でごめーん。
それでも、、、
進め〜40代!未来をつかもー。











45オヤジ、走り続ける

陰気な事ばかり45の中年が書き続けても、箸にも棒にもかからないので、ポンコツでもポンコツなりに頑張っている事を今回は書かせて頂く。

私は 2013年の冬からランニングを始めた。当時からは5,6キロは痩せたと思う。走り始めた理由は4つ。


①人間ドックで、医者から「悪玉コレステロールが多過ぎだな、まずいよ」と言われ、ニヤニヤと「そうですか〜」と笑ったら、睨まれて「笑ってる場合?」と言われた事。


②ロケに向かう飛行機内、隣に座った老紳士が、オーストリアとドイツのスキー場へ一人で滑りに行くという。すごくカッコイイ!と思え、話が盛り上がると、「君も走ってごらんよ。ジョギングはスピード、走る時間、日程、全て自分のペースでできるんだから。君なんかロケ先で走ればいいじゃない」と言われ、ランニングをしている自分を想像できた事。


③仕事がきれて、お金がなかったから。


④自分を変えるにはルックスからもありか、と考えたから。


他にも理由があったのだと思うが、思い出すのはこれくらいかな。。


走り始めは、1キロ走る事さえ厳しかった。息はあがるし、脚は痛くなるし。それでも、一週間に一度走るのを、3日に一度、2日に一度、毎日と間隔を詰めて走り続けた。初年の梅雨の時期は雨の中でも無理矢理走った。おれは変われる!おれは変われる!ってつぶやきながら。相当おっさんなスピードで。


応援歌を聞きながら走った。NHKのプロフェッショナルで使われてる主題歌「progress」。「あと一歩だけ前に進もう」って曲を聴きながら、くそーって思いながら走った。


走れば走るほど、こんな事で人生を変えれるのか?そんな言葉が何度も頭によぎった。


それでも、これ以外で他に何ができる?そう思って走り続けた。


次第に出ていた腹も凹み、妻からは姿勢がよくなったと言われた。腹筋背筋がついたのだと思う。

そして、人と会う度に「痩せましたね」と言われるようになった。これが、私の中の何かを変えた。

自分がそこいらの俳優やモデルさんと比べられるルックスでは無いのは重々承知している。それでも、自分の中の一番カッコイイ姿を目指そうと思うようになった。この考えが良かったのかもしれない。

「自分の中の一番」これが。


曇り続けていた空から陽射しがさしてきたような気持ちになった。


以前書いた「8年も続けた仕事を辞めよう」って、先も見えないのに飛び出せたのは、この走り続けられた、という自信から生まれた気もする。


人間、やればどうにかなる。

新しい人生を踏み出すには、意思や気持ち、思い切り、なんて言葉を聞くときもあるけど、「見た目を変える」ここからでも、私は始められる気がしている。



 

45オヤジ、嫌われる覚悟をする。

そりゃあね。俺もあなたを笑わせたいですよ。でもね、いつも笑顔のない、はじめから笑おうとしないあなたを笑わせるほど、お人好しじゃないんですよ…。

つんとした顔で仕事相手に接されるとこんな風に思う。美人だからって調子にのんなー!

仕事相手が正しいのは重々承知している。私の実力の無さにお怒りなのも分かっている。ただ社会というものは、頭が良く仕事が出来るだけの人間で動いていないというのも、やはり理解して欲しい。いや、今の時代、頭が良くても会社や仕事を一番に考えず、自分の生活や価値観を壊さないように、上手く振舞っている人が多くなっている事を理解すべきなのかもしれない。何でもかんでもバリバリ働くのはは遠い過去の話なのだ。上に立つ人間が、怒りをぶつけても状況は悪化するだけだ。
というか、あなたも連絡事項全く伝えてくれないので、こういう事になってんだけどね。。
と、本当に言いたーい!

と、人のせいにしてたら変われないよね。。。
いつも考えがフラフラフラフラ、嫌われること、ビビりすぎか???

そんな事を考えながら、自分がいるべき場所にいないのも問題なのだと、申し訳なく思っている私もいる。そして自分を変える為に他に力を注いでいる事で、全力を出せていないような気がしている。やる事はやってるけど。。

そう考えると、結局この状況を作っているのは私なのだ。

と言うことで、考え方を変えた。
いや、変える。

「そうやってもっともっと私を嫌えー」
そうすれば、私がもっともっと、
違う道に行こうとする力が強くなーる!



45オヤジ、大会社に思う。

やっぱりブログ、難しいなー。
これが私のへっぽこなところ。。。
なかなか更新できません。。。

さて、今回は会社の話です。

以前、番組を辞めた事を書いたが、その番組の制作会社に要あって足を運んだ。その時、ふと気付いた。。
あ、そうだった、ここの空気感が嫌いだったんだ、と。


なにか皆んな楽しそうでなく、なんだかつまらなそう。笑顔で挨拶をする風景をあまり見ない。
この「なんだか」という曖昧な表現に隠されているもの。これがとても大事なんだと今更ながら気付いた。
これって視覚、聴覚、嗅覚、触覚を通して入って来てる情報なのだ。
この、どよーんとした空気感。なんなんだこれ。
久々にそう思った。

その会社、所謂グループ企業なのでトップが本社から送られてくるシステムなのだが、こういうのって所謂、社員は社長も目指せない場所なのです。なのでおじさん達は最終的に上からの言いなりになるしかないと私は思っている。テレビの要である現場にいるって事を自分のやりがいにすりかえて自身を納得させ、やっていくしかないのです。安定はその分得られるんですけどね。

踊る大捜査線の現場の織田刑事とギバちゃんのような信頼関係を本社と築いている人がいるならまだしも、あんなの創り事でしかないものね。グループの中の会社をいい会社に変えてやろうなんて気概のあるものは、ほぼ「0」でしょう。
本社の人達は考えてても、会社使って俺のやりたい事やる!、、、ぐらいでしょ。
だから最近売れたものが、上司に頭下げさしてやる!っていう半沢直樹だったのかも。。

 

ま、そんな事はさておき、

 

上司がそんなじゃ、やっぱり下もなあなあになるよね。。他の制作会社で、元気な所も見てるけど、ここにいたらまずいなー、と久々に思いました。

なぜならー、人の事などどうでも良くて、
その雰囲気を察知出来なくなってる「私」がいたから。。

ファーストインプレッション。
これぐらい大事なものってないのかも。昔、初めてその会社に行った時、ここかぁ、こんな感じなのか↓って感じたけど、そういうのもっと大事にすべきなんだよね。きっと。

直感を信じ、ぱぱっといく方向を決め方向転換する人がいる。例えば元LINEの社長さんなんかも経歴を見たらそんな感じ。人間、変化を受け入れるのって相当大変だけど、受け入れられないとズブズブにはまって行くって事だなー、と実感しました。


そう、、、そこに何かと居続けてしまっている私がいるから。。。

変われないよね、これじゃ。。。

 

変われてない悔しさ。。これ、誰にでもあるもんなのかな。。。

絶対変わってやるー!とポンコツはまたも空を仰ぎ見るのでした。。

おーい、若者。変わる事を良しとしないおじさん達と付き合うなよー。( ̄▽ ̄)

45オヤジ、また怒られ、考える。

また、怒りの矛先が私に向いた。年下の頭の回転がいい奴にだ。声が小さいからか、頭の回転が悪いからか。そんな事はわかってる。
この年代になると思う。「私はこの仕事に向いてない」。私と同じように思う人は腐るほどいるだろう。

仕事をしていると、必ず何か問題が起こる。そんな訳で問題が起こらないなんて仕事じゃない、と現在はようやく考えるようになった。

一人でする仕事ではない限り、必ず人は周りと繋がりあって仕事をする。そこには軋轢が生まれる。
そんな中、笑顔でいられる方法、それは一つだけ、と私は考える。

「人の考えを受け入れられるか、受け入れられないか」

その一言に尽きる。
人の仕事への想いの幅はそれぞれだ。
適当に仕事をしてるように見えても、その人にとっては、一所懸命だったり。真面目にやってるように見えても、だらけていたり。

そういう違う考え、生活にいる他人を受け入れられかどうかで、その仕事が楽しいかどうかが変わってくる。

なので私は「すぐに」怒り出す人間が嫌いだ。すぐに怒りの感情を発散する人は、その人を正当化したいだけに見える。
怒りによって圧力をかけ、自分を正当化する、そんな人間を数多く見てきた。映画の現場でも、テレビの現場でも。因みにそういう輩は大概腕っぷしの自慢などをし、鼻息を荒くして、てめぇ、殴るぞ的な威圧を人にかける(男社会だねー)。この時代に腕力で人を抑えようとするのだ。くだらない。。。

大概すぐに怒る人は浅い考えを持つ。(私の年齢になると、男でも更年期障害があるのはちょっと置いておく) だから私は少しでも笑おうとしている。笑って優しく伝える。
ただ昔、私にもそういう事がなかった訳じゃない。イキっていた頃だ。仕事が見えて来ると、人は粋がる。そして自分が一番だと思い込む。(粋がってる人〜、気を付けて〜。人生は長いですよー、意外と簡単に踏み外しますよ〜〜ww)
いや、今も私自身、娘に対して突然キレたりする。これは家族と思って甘えているのだ。。ごめんよ〜、娘。

そして、大概、笑っていると、その笑顔につけこんで、お前が悪いみたいに言う輩がいる、そしてストレスが産まれる。あー、やだやだ。

皆が少しだけ広く、世の中には個性が溢れている事をしれば、本当に仕事がしやすく、よい世の中になるんだけどなー。

おい、兄ちゃん、俺はあんたほど頭回らねんだよ、でも、そういう所で生きて来たんだよ。まずは人の事、尊重してくれない?

そして、皆んな、心を広く、自分を磨こうよ。

なんてねー。